2019年9月のブログ記事

  • ヤマト王権の始まりの国 8-3

    六 記紀に記されている天皇陵と変化の理由 ⑴ 初期ヤマト王権の埋葬地  古事記には葬った場所として、山上、尾上、坂上などとともに「岡」という字がいくつか出てくる。岡は人工の山である。いずれも見晴らしの良い高い場所である。魂が天に昇っていきやすい場所に葬るという考え方にもとづくものかもしれない。  ... 続きをみる

    nice! 1
  • ヤマト王権の始まりの国 8-2

    七 周濠分割型前方後円墳  方形部前方が広がる形の前方後円墳が造られ始めても、周濠造りに意味があったのは同じである。纏向型墳丘墓から墳墓の形が変わっても池造りという目的は維持されていたと考えられる。溜める水を確保するには山麓などの傾斜地がよい。しかし、傾斜がある地域では、周濠の造り方に工夫が要る。... 続きをみる

    nice! 2
  • ヤマト王権の始まりの国 8-1

    第八章 古墳 一 纏向古墳群 ⑴ 纏向型古墳  纏向石塚古墳、纏向矢塚古墳、纏向勝山古墳、ホケノ山古墳がある。帆立貝型古墳には茅原大墓古墳がある。地域的には、大和川と東部の山に挟まれた纏向、箸中、茅原の一帯である。纏向遺跡には大型建物跡が見られるが、三世紀後半以降のものである。集落そのものは二世紀... 続きをみる

    nice! 2