2021年11月のブログ記事

  • ヤマト王権の始まりの国 2-3

    五 狗奴国と卑弥弓呼  狗奴国の王の名は卑弥弓呼である。後漢書にはない。  字は「卑弥呼」に「弓」の字が入っただけである。一字挿入だけの違いは偶然のこととは思えない。卑弥呼を連想するような言い方も字の選び方も、卑弥呼と似た地位にあると想像される。中国側が卑弥呼に対して卑弥弓呼という字を当てたのは関... 続きをみる

  • ヤマト王権の始まりの国 3-2-3

    ⑶ 漢鏡の地域分布と邪馬台国の位置  北部九州がクニ造りの中心だったことはこれまで調査された漢鏡の分布からも推測できる。漢鏡は渡来人が伝えたもの、朝貢によって受け取ったもの、輸入したもの、倭で造られたものがある。  四期漢鏡と言われているものは弥生時代中期から後期にかけて、北部九州、中国地方、近畿... 続きをみる

  • ヤマト王権の始まりの国 6-3

    四 女王卑弥呼の塚  女王卑弥呼は王位にあったまま死に、卑弥弓呼は軍を撤退させた。倭国としては盛大な墓を造ることとなる。しかし、男王が倭国王となって国中で誅殺し合った時期に巨大な墓を造る余裕はなかっただろう。造営は壱與が女王になってからのことと思われる。その造営を張政が見ていたとは思えない。帰国後... 続きをみる

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  • ヤマト王権の始まりの国 1

    序章 疑問の始まり 卑弥弓呼という王    卑弥呼の間違いではない。狗奴国の男王である。卑弥呼、邪馬台国とともに魏志倭人伝(『三国志』の『魏書』のうちの『東夷伝』倭人の条)に出てくる。卑弥呼は倭の女王であり、広く知られているが、卑弥弓呼や狗奴国は教科書には出てこない。 魏志倭人伝には女王卑弥呼と狗... 続きをみる