ヤマト王権の始まりの国 2-1

第一章 「狗奴国(拘奴国)」とは


一 狗奴国か拘奴国か


 狗奴国は魏志倭人伝の記述であるが、後漢書では拘奴国となっている。どちらが本来の字だろうか。
 後漢書に倭の国として、邪馬台国、倭奴国、倭国、女王国、拘奴国の名が登場する。拘奴国の名が登場するのは特別視されていたからだと考えられる。魏志倭人伝には倭の女王卑弥呼に属する国が多数挙げられ、女王に属さない狗奴国の男王卑弥弓呼との不和と相攻撃が記されている。南方の侏儒国、裸国、黒歯国は魏志倭人伝にも登場しているが、これらの国と呼ばれている地域は倭とは別であろう。漂着者からの伝聞である可能性もある。
 後漢書は漢の時代までの出来事の記述にとどまるが、魏志倭人伝は漢の時代から魏の時代のことまでが書かれている。ところが、范曄の後漢書は五世紀に書かれたもので、魏志倭人伝は三世紀に書かれているから范曄はそれをもとに書いたとして後漢書の「拘」のほうが誤記だとされている。しかし、魏志倭人伝のほうが古い後漢書等にもとづいていると考えるべきである。
 最初の後漢書は光武帝の子の明帝のときに書かれたと言われている。東夷などの列伝も含まれていたと思われる。その後、後漢書や東観漢記、後漢紀などが何度か書かれたとされている。時代が進めば情報も増えていくから少なくとも追加の記述はされるだろう。
 光武帝が倭奴国王に金印を授けたとの記述は明帝のときの後漢書やその後の東観漢記などに書かれていて范曄は古い後漢書などに従い、金印について記述したと考えられる。この出来事は魏志倭人伝には記述がない。
 逆に、魏志倭人伝には後漢の時代の倭の描写や倭国大乱などが載っている。これは女王卑弥呼についての記述に関連するからであろうが、後漢書を調べたとしか考えられない。魏志倭人伝と范曄の後漢書の記述が類似するのは、ともに古い後漢書などをもとにしているからだと考えられる。そのうえで、魏志倭人伝には魏の時代の出来事として狗奴国の王や長官の名、卑弥呼と卑弥弓呼の不和と相攻撃と張政の派遣、卑弥呼の死、壱與の女王就任などが加えられたと考えるべきだろう。
 「拘」と「狗」は類似しており、古い後漢書などの字がはっきりしなかったのかもしれないが、後漢書の「邪馬臺国」、「拘邪韓国」が魏志倭人伝では「邪馬壹國」「狗邪韓国」となっている。後漢書の「目支国」に対し、「魏書東夷伝」三韓の条では「月支国」となっており、これは発音が全く違う。字が紛らわしかったと考えるべきだろう。
 本稿では「拘奴国」又は「狗奴国」の字から国の元々の呼称とその由来を推理することが目的である。拘奴でも狗奴でもよかった発音が元々の呼称だったと考えればよいのではないかと思う。


二 「拘奴国」、「狗奴国」の読み方


⑴ 拘奴、狗奴の発音と字の理由
 「拘」、「狗」はク又はコと読み、「奴」はヌ又はナと読む。拘(狗)奴はコヌ、コナ、クヌ、クナという読み方があることになるが、これは仮名表記によって逆に発音が制約されるようになった結果であって古代(上代)にはさまざまな発音があった可能性がある。万葉仮名も現代日本語発音で読んでしまうと詠まれたときの発音にはならない可能性がある。
 拘奴、狗奴は一般にはクナと読まれているが、当時そうだったとは言えない。名には由来があるが、その説明もないまま恣意的に読まれているようにも思われる。
 例えば狗奴国の長官「狗古智卑狗」の卑狗は「ヒク」ではなく「ヒコ」と読まれている。これは日子や彦の意味かもしれない。ところが、狗古智は「クコチ」と読まれている。同じ発音に同じ字を用いたなら「ココチヒコ」または「クコチヒク」と読むべきだろう。狗奴国の王卑弥弓呼はヒミクコと読まれているのは、「弓」をク、クウ、キュウと読むからであろうが、ヒミココがヒミコンコ、ヒミクンコ、ヒミクンクなどと聞こえ、卑弥弓呼と記した可能性もある。
 よって、卑弥弓呼はヒミコのコの音訳だった可能性も否定できない。
 次に、「奴」はどう読むべきか。名に「奴」が含まれる国はいくつも登場し、単なる奴国もある。この奴は助詞ではない。「奴」が共通して使われているのは、それらの国に共通する性格があったからではないかと思われる。それが元々の呼称と音訳した字に関係があるのではないかと思う。
 狗奴国の性格を字の意味から考えるのは後漢書の拘は誤りだというのが前提であるが、女王に属しておらず、卑弥呼と卑弥弓呼は素不和で相攻撃したという記述と「狗」も「奴」も悪字であることから想像された見解だろう。蔑むべき国、卑しい国、即ち敵対国という位置づけがされ、滅んだ国として扱われ、日本の歴史にとってどうでもよい国だとみなされた。
 確かに「狗」には卑しいとか蔑むべきという意味がある。しかし、倭の使者がコナコクだけを蔑むべき国、卑しい国だと説明したのか大いに疑問である。「奴」も似た意味があるが、伊都国の東南にある奴国は蔑むべき卑しい国ではない。
 また、狗奴国は敵国を蔑んだ呼び方ではない。「狗」は敵の意味ではない。三国時代の馬韓に狗奚国、狗盧国、狗素国があり、漢の支配下にあった。漢の敵ではない。「奴」も敵を意味するものではない。
 拘は引っ掛かる、とらわれるなどの意味がある。しかし、女王に服属していないなら、そういう意味は当てはまらない。
 よって、単に発音に合う適当な字を当てただけで、字に特別な意味はなく、東夷の国だから悪字を使ったものと思われる。
 「奴」の元の呼称を考えるには、多くの国の名にある共通の意味を考えるべきだろう。


⑵ 倭での呼称の由来
 倭でどういう由来で何と呼ばれていたかという問題である。奴と音訳したのはナ、ヌのどちらかの呼び方があったからではないかという仮定で考えてみる。
 手掛かりは「漢委奴国王」である。金印を授与されたのは倭を代表する王として認められたからであろう。どういう王かを示す称号であるなら、倭の国々を支配し代表する国の王として認められたと考えられる。その支配、領有などを意味する言葉は何だったかである。二者択一なら「ナ」だったと考えられる。
 支配、領有などを意味する言葉が「ナ」だと考えたのは「名」に通じるからである。名は他と識別する印であるとともに、だれに又はどこに帰属するかを示す印である。親が子に名をつければ、子は家族や一族に属する者として認められるとともに、他者と識別される。家畜が自分のものであることを示すために、家畜に名をつける。名は識別したものを領有、支配するという意味がある。王が土地に名をつければ、そこは王の領地であることが確定される。
 高句麗では一定の領地を治めている部族を部と呼び、その領地に那や奴の字を当てていたという。それらの字からすれば、ナもヌも同じ意味で使われていたとも考えられ、発音が似ていたとも考えられる。同じ扶余族系の渡来人が領地の意味でナやヌという言葉を使った可能性はある。倭では助詞のヌがあったためナという言葉が使われるようになったのかもしれない。
 領有、支配する者は、いわば頂点に立つ者であり、代表者ということでもある。倭の国々を支配することで倭を代表する国王として認められたということだろう。
 次に「拘(狗)」と音訳した言葉がコだった場合、考えられるのは「子」や「小」の意味のコである。国については、子国、小国ということになる。小さい国ではなく子どもである国という意味である。
 コナは子の国の王が領有、支配することをいうのだろうか。子というからには親がいる。領地は親国の王のもので、子国の王はそれを統治するという関係ではないかと思う。子国は、子の王が治める親の王の領地である国ということになる。
 これはある国が新たに領地を得てそこをどう統治するかという問題である。元の国を滅ぼし王が直接統治する形態、降伏した国の王を廃し王族を配置して統治する形態、服属した王に統治させる形態、国のない地に新たに国を造り王族に統治させる形態が考えられる。既にある国を降伏、服属させた場合はその国の名が残る。国のないところに新たに国を造った場合や国を完全に滅ぼして国を廃した場合は、それらは支配国(親国)の一部となる。新たな国は支配国の名と同じになるが、支配国からの呼び方はそれぞれの国の統治の形態による呼び方になったと思われる。
 コノナノクニは、新たに生まれた子と言うべき国であり、親国の王が領有支配する国である。官である狗古智卑狗を通じての直接統治から王である卑弥弓呼に統治を任せる形態に変わった可能性もある。子たる立場の国の王は本国の領地である国を治めるのであり、本国の王族だったと考えられる。
 子の国は新たに国名を付けない限り本国の名と同じである。それを本国から見て区別するためにコのナのクニと呼んだのではないかと思われる。ヒミコのコが治めるクニ、ミヤのコを置いたクニという意味でもある。
 魏志倭人伝に登場する国々の名は、狗奴国を除いて女王に服属した国である。奴は直接統治、冒頭の字に続いて奴がある国はそれまでの王の統治を廃して直接統治又は王族に統治させている国、奴のない国は服属した王がそのまま統治している国を指すのではないだろうか。このように考えると、狗奴国を親国が生んだ子の国と考えることができる。新たな国は直接統治か王族に統治させるかのどちらかである。