ヤマト王権の始まりの国 目次

副題 「狗奴国=邪馬台国の子国=ヤマト王権」仮説                  


                               原稿番号
序章 疑問の始まり                      1
一 倭女王卑弥呼と狗奴国王卑弥弓呼
二 倭の国の王権
 ⑴ 国とは                  
 ⑵ クニ(国)の名づけ
 ⑶ 二世紀までの倭の国              
 ⑷ 二世紀から三世紀までの倭の国
三 手がかり
四 ヤマト王権=狗奴国=邪馬台国別国仮説           1-2
第一章 卑弥弓呼の国                     2―1
一 狗奴国か拘奴国か
二 だれが狗奴という字を用いたか
三 「狗奴国」の読み方                    2-2
 ⑴ 狗奴の発音
 ⑵ 狗奴の意味
 ⑶ 元の倭の言葉は何だったか
 ⑷ 奴の字がつく国 
四 なぜ狗奴の字か                      2-3
 ⑴ 通訳はどう説明したか
 ⑵ 倭国での文字記録はない                     
五 狗奴国は畿内にあった                   2-4
 ⑴ 魏志倭人伝の二つの奴国の位置
 ⑵ 後漢書の記述と信用性
六 狗奴国の成立時期                     2-5
七 狗奴国の王
 ⑴ 卑弥弓呼の読み方
 ⑵ 弓は何を意味するか
八 女王に属さずとは
第二章 邪馬台国とは                     3-1
一 卑弥呼の都がある国
二 邪馬台国の名と字
 ⑴ 邪馬台の読み方
 ⑵ 邪馬台という字の理由ヤマダイの意味
 ⑶ ヤマダイとヤマト
三 山台における国造りの条件                 3-2-1
 ⑴ 国造りにつながる思想
 ① クニを造るということ 
 ② 武力による支配という考え方
 ③ 王による統治という考え方
 ④ 王は神の子であるという考え方
 ⑵ 食糧生産力と人口                    3-2-2
⑶ 条件不足を補うもの
  ⑷ 山台の勢力の由来                   3-2-3
四 邪馬台国の位置                      3-3-1
 ⑴ 邪馬台国と狗奴国とヤマト王権の国
 ⑵ 魏志倭人伝に記された行程                3-3-2
 ① 距離算出の基本
 ② 魏志倭人伝の距離の表現
 ③ 各国への行程
 ⑶ 漢鏡の地域分布と邪馬台国位置論争            3-3-3
五 邪馬台国畿内説の問題点                  3-4-1
 ⑴ 邪馬台国の名の由来をどう語るか
 ⑵ 魏志倭人伝の行程をどう説明するか
 ⑶ 豪族連合政権説との関係
 ① 連合の意味
 ② 連合説の根拠
 ③ 連合に加わった豪族
 ④ 連合の目的
 ⑤ 成立時期
 ⑥ 世襲制
 ⑦ 結論
 ⑷ 邪馬台国の都                      3-4-2
 ① 邪馬台国の成立時期
 ② 畿内の状況         
 ⑸ 倭国大乱は畿内から始まったのか
 ⑹ 畿内で倭国の運営と統治はできない
 ⑺ 北部九州に邪馬台国がなければどういう国があったのか
第三章 倭国                         4-1
一 大乱前の倭国はどのようにして成立したか
 ⑴ 倭国の成立とその意味
 ⑵ 倭奴国との関係
二 倭国の勢力範囲
三 倭国の発展と王位継承
 ⑴ 海幸彦と山幸彦の物語の意味
 ⑵ 時代性
四 倭国大乱とは
 ⑴ 時期
 ⑵ 原因
 ⑶ 倭国大乱と記紀
五 女王共立                         4-2
 ⑴ なぜそのような解決をしたのか
 ⑵ 「卑弥呼」となった者
 ① 卑弥呼の名は継承された
 ② 卑彌呼という字
 ③ イチヨは第一宗女(世継ぎ)のこと
 ⑶ 女王の権力はどういうものか
第四章 東征                         5-1
一 ヤマト王権成立史のハイライト
二 記紀の読み方
 ⑴ 記紀はなぜ作られたか
 ① 倭の国造りの物語
 ② 歴史の脚色
 ⑵ 記紀は倭の国造りの物語
 ⑶ 東征物語における隠された歴史
 ① 出発地の国の名
 ② 倭国大乱と女王共立
 ③ 新たな国の成立まで
三 東方平定と畿内の国造り                  5-2
 ⑴ 東方平定の意志
 ⑵ 東方平定の実行(再開)
 ⑶ 東方平定の先
四 出発
 ⑴ 出発の時期はいつか
 ⑵ 吉備の役割
五 東征の経過とその後
 ⑴ 行程と戦い
 ⑵ 本国の状況
 ⑶ 畿内での国造り
 ⑷ 卑弥呼と卑弥弓呼の対立
第五章 卑弥呼と卑弥弓呼の不和と相攻撃             6-1
一 不和
 ⑴ 不和という言葉の意味
 ⑵ 不和と相攻撃の頃の卑弥呼と卑弥弓呼
 ① 卑弥呼
 ② 卑弥弓呼
 ⑶ 不和の内容と原因 
 ⑷ 不和と邪馬台国王族の関わり
 ⑸ 歴史的に見た不和
 ⑹ 「素不和」とはどういう意味か。
 ⑺ 周辺諸国の態度
二 「相攻撃」の意義                     6-2
 ⑴ 原因
 ⑵ 戦いの経過
三 卑弥呼の塚                        6-3
 ⑴ 塚の場所と規模
 ⑵ 畿内の前方後円墳は卑弥呼とは関係がない
四 女王体制の復活とその後
五 狗奴国と卑弥弓呼
第六章 倭国統治権の移譲                   7-1
一 邪馬台国王家の没落と畿内王家の興隆
二 畿内王家への倭国統治権の移譲
三 邪馬台国王家のその後
四 邪馬台国王家の記録の抹消とヤマト王権史の制作
五 神々の系譜が意味するもの                 7-2
 ⑴ 日本誕生からの正統性
 ⑵ 天照大神
 ⑶ ヤマト王権の神々の系譜
第七章 畿内の発展をもたらしたもの              8-1
一 畿内発展の条件と契機
二 水利と富国強兵
 ⑴ 弥生集落の場所
 ⑵ 新しい集落
三 畿内発展の象徴
 ⑴ 方形周溝墓
 ⑵ 瀬田遺跡の円形周溝墓は墳墓なのか
 ⑶ 三世紀前半の古墳
 ⑷ 周濠式の墳墓形式をもたらした勢力
 ⑸ 方形周溝墓はなぜ消えたか
四 纏向古墳群はどのようにして造られたか           8-2 
五 箸墓古墳
 ⑴ 墳墓として築造されたのか
 ⑵ 墳墓の築造と形状
 ⑶ 築造年代と被葬者
六 山麓の前方後円墳
七 周濠分割型前方後円墳                   8-3 
八 前方後円墳の広がり        
 ⑴ 地方の箸墓古墳型古墳 
 ⑵ 前方後円墳の広がり
 ⑶ 前方後円墳の終焉
 ⑷ 地方で造られ続けられた理由
九 記紀に記されている天皇陵と変化の理由           8-4
 ⑴ 初期ヤマト王権の埋葬地   
 ⑵ 卑弥呼との不和の頃    
 ⑶ 墳墓形式の変化
 ⑷ 開化天皇陵と崇神天皇陵
 ⑸ 王宮と墳墓の場所
 ⑹ 池の保全と王墓予定地
 ⑺ ヤマトと象徴
第八章 ヤマト王権とミヤコ(都)についての推理        9
一 都(ミヤコ)とは
 ⑴ ミヤとは
 ⑵ ミヤコとは
 ⑶ 王と宮の関係
 ⑷ 宮の名と場所
 ⑸ 王に私生活なし?
二 遷宮はあったか
三 記紀の初期天皇の系譜は正しいか              10
 ⑴ 初期天皇の系譜は正しいか
 ⑵ 天皇の在位期間の記述
 ⑶ 在位期間の修正
 ⑷ 神々の系譜
四 王と宮の名
 ⑴ 宮の名の由来をどう推理するか
 ⑵ 王の敬称の由来をどう推理するか
 ⑶ 諡
五 初代から第十代天皇までの諡                 11-1
 ⑴ 神武天皇 
 ⑵ 綏靖天皇
 ⑶ 安寧天皇
 ⑷ 懿徳天皇                        11-2
 ⑸ 考昭天皇
 ⑹ 考安天皇
 ⑺ 孝霊天皇                        11-3
 ⑻ 孝元天皇
 ⑼ 開化天皇
 ⑽ 崇神天皇